あの“地下鉄サリン事件”から半年が過ぎ、マスコミの熱狂的なオウ真理教(現アーレフ)報道が続いていた1995年9月。テレビディレクターである森達也は、教団の広報担当者 荒木浩を被写体としたオウム真理教についてのドキュメンタリー番組の企画を立ち上げた。翌年3月に撮影は始まるが、2日間のロケを済ませた段階で、オウムを絶対的な悪として描くことを強要する番組制作会社のプロデューサーと衝突、これ以降、契約を解除された森は自主制作として、このドキュメンタリーを進行させることになった。
数カ月後、単独で撮影していた森は、数々の自主制作映画をプロデュースしてきた安岡卓治に出会う。ラッシュを見た安岡は、本作への参加を決め、撮影・編集の補助及び製作を担当する。1997年4月までの約1年間、森と安岡はオウム施設内部に視点を置きながら、社会とオウム、双方を撮り続けた。その後136時間に及んだ素材テープを編集し、同年10月の山形国際ドキュメンタリー映
画祭に出品、そして企画立ち上げから2年4ヶ月後の1998年1月、BOX東中野にて一般劇場公開が実現された。その後、大阪、名古屋、札幌他、大都市の独立系単館劇場で公開される。
本作は公開後、賛否両論、様々な方面から物議をかもした。権力やマスコミへ批判と読み解く人もいれば、青春を描いたドキュメンタリー作品として高く評価する人もいる。つまり、善し悪しを別にしても、それだけ多くの人々が本作に関心を寄せ、社会に波紋を及ぼした作品である事は明白だ。事実、本作の注目度は日本国内だけに止まらない。ベルリン、釜山、香港、バンクーバー等、各国の映画祭に出品され、いずれも大きな話題と反響を呼んだ。
森達也は本作において、“なぜ事件が起きたのか?”という過去形の疑問ではなく、“なぜ事件が起きたのに今も信者であり続けることができるのか?”という現在進行形の疑問への解答を求め、ファインダーに収め続ける。そして、この疑問が目指すベクトルは、オウムの“中”ではなく、オウムの“外”、即ち、この時期彼らを包囲し、今も包囲し続ける“日本人総体のメンタリティ”にその解答があることに気付く。こうしてオウム信者たちの現実を通じて、彼らを包み込む日本人のメンタリティを炙りだす事が、本作の主眼となったのだ。様々な論議を呼んだ、歴史に残るであろう本作品。日本人として、人間として、観ずには済まされない現実を今、あなたは目撃する。